メールマガジン
そうか、英語って、そういうことだったのか!
発行人 プロフィール
中野靖之 (ナカノヤスユキ)
1981年埼玉県熊谷市生まれ
小学時代、サッカーの練習で慣れ親しんだ県立熊谷高等学校に憧れ、進学。
在学中は應援團第54代団長、生徒会長を歴任。熊高生の顔となる。
そのぶん、勉強は・・・あはは。
高校卒業後、「船乗りになる」と言い、2000年、国立清水海上技術短期大学校に進学。
軍隊のような2年間の寮・船上生活を送る。
しかし在学中、「ちがう。やっぱり、先生だ!」と思い直す。
短大卒業後、「働きながら、自分のお金で大学を卒業する」と考え、
2002年、航空自衛隊に入隊。
同年10月、慶應義塾大学通信教育部に入学。
卒業率3%の難関を、4年で169単位という驚異的なスピードで卒業。
在学中、その勉強ノウハウを活かし、メールマガジン
「慶應通信で年間40単位取る方法」
を発行。読者600名超を誇り、一大センセーションを起こす。
2005年に自衛隊を任期満了で除隊後、英語の運用能力を高めるため、2005年、
Nebada California International College, Japan (NIC)に入学、修了。
ダブルスクールで、米国大学の単位を20単位ほど取得(違法?)。
「英語科教員になるにあたって、海外経験に乏しい」と感じ、2006年、
内閣府主催 第19回世界青年の船に応募、合格。
日本代表として2007年1〜3月、世界14ヶ国の青年と共に船上生活を送り、
国際的視野に立った問題について話し合う。
この間、地元熊谷市にて、
栄光ゼミナール熊谷校の中学1年クラス主任として働く傍ら、
「この町はもっとおもしろくなる」と、
熊谷花火で10万人笑かそう会 を立ち上げる。
総会員数300名の代表を務め、
花火大会にてメッセージ花火打ち上げ
うちわ祭りにて特製カレーパン販売
「辛いぞ!熊谷カレーフェスティバル」主催
の3事業を手がける。埼玉新聞に2回、読売新聞に1回、活動が掲載される。
この活動は2008年の「笑かそう会'08」をもって、活動休止。
2006年9月、予定通り4年で慶應義塾大学を卒業。
2007年4月より、念願の教員になる。
埼玉県 私立狭山ヶ丘高等学校 専任教諭
クラス担任(1年、2年)、進路指導部、生徒募集担当、合気道部顧問、サッカー部顧問、
教育実習指導教員、夏期/冬期講習講師 などを歴任
「公立の学校も経験しておくべきだ」と考えていた矢先、教育委員会から誘いがあり、
2009年4月から1年間、
埼玉県立熊谷農業高校で教鞭をとる。
生徒指導部、英語検定担当、サッカー部顧問。
この間、環境問題プロジェクトTeam GoGo!の狭山・入間支部長、
埼玉IYEO(青年国際交流機構)スタッフ
慶應義塾大学 2006三田会 通信部幹事
狭山市青少年相談員協議会 スタッフ
熊谷市国際交流協会スタッフ
として、さらに活動の幅を拡げる。
また、数学の教員免許取得に向け、
2007〜2008 玉川大学通信教育部にて勉学に励む。
が、「俺、数学、駄目だ。」と、あえなく挫折。取得単位12単位。
2008年12月、日本語教育能力検定試験に合格。
また2009年5月、日本語教師養成420時間講座を修了。
まずは、海外の教育現場を見てみたい。
それで、自分は何が出来るのかを、考えたい。
だから、日本語教師として、近いうちに海外へ行きます。
また、2002年から2008年3月までに、ハーフマラソン7回、フルマラソン1回完走。
現在はマラソンも継続しつつ、トライアスロンに挑戦すべく、調整中。
また趣味として、地域のフットサルチームに所属し、スポーツに親しむ。
一貫して活動の根本にあるのは、
「全力」
人生は、無駄に毎日をすごすにはあまりにも貴重な時間だ。
自分と関わる人たちを、笑顔にしたい。
そして、自分もいつまでも笑顔でいたい。
いつまでも、アホでいたい。
固まった大人になんてなりたくない。
いつでも、いつまでも、どこでも、成長できる。
だから、これからも、全力で、いきます。