ショートショート5「赤いボールペン」

 夜になると砂浜にはもう人影が無くて、昼間の親子連れやらカップルやらの騒々しい声がまるで雲がどこかへ流れてしまったかのようにはっきりと無くなっていた。

 いつものように浜辺を往復5回、それにきちんとしたトレーニングを行う。今自分はどこの筋肉をどうやって動かしているのか、そしてそれはどのように僕の力になっていくのかを確かめながら。

 その日は少し小降りの雨が降っていて、走っていると汗と雨で目がうまく見えなくなり、だんだん海の形さえはっきり見えなくなってきた。ただ僕の隣に横たわっているのはぼんやりとした暗い線と、いつ果てるとも知らない波の音、そして明け方にはなくなっているであろう雨の音だけだった。だから人影を発見したのは本当に間近になってからだったので、僕はあやうく足首を痛めそうになり、彼女は持っていた傘を手放してしまった。

 「ごめんなさい。よく前が見えなかったものだから。」前髪から落ちてくる汗だか雨だかを振り払いながら僕は言った。

 「私こそ、探し物に夢中になってしまって。」

 「傘、落ちましたよ。」傘を拾う気配もなくただ濡れていた彼女の様子が変だとは思いながら、僕は傘を拾って差し出した。

 「ありがとう。でも、もういいの。そこに車を置いてきたし、やっぱり駄目ね。こんなに暗いんじゃ、見つからないようね。」白いカーディガンを羽織った彼女は、あきらめたふうにうつむいた。

 「この浜は、よく物がなくなるんです。だからあまり高価なものは持ってこないほうがいいですよ。もっとも、なくなってからでは遅いとは思いますが…」少しあたりを探すふりをしながら僕は言った。

 「ありがとう。でも、いいの。それほど高価ではないし、それにどうしてもみつけなきゃいけないというものでもないから。」

 遠くで急かすような男の声が聞こえると、彼女は振り返って会釈をし、歩き去っていった。僕も軽く会釈をし、また黙々とランニングに戻ることにした。

 夏になると、僕は飽きもせず海岸線を走り、決まったトレーニングをする。秋から春にかけてここの海はだいたい荒れているので、夏でないとゆっくり走れないのだ。

 ここの海岸では、忘れ物はなかなか見つからない。今日僕は海岸で赤いボールペンを拾った。誰のものかは、わからない。




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